2年を振り返りながら、今 思うこと
2011年、ここ東アフリカは未曾有の干ばつに見舞われ、1200万人以上が支援を必要とする状況に至った。
そんなニュースを聞き自分も少しでも貢献できたらいいなと思い、また自分への閉塞感を打開するように、アフリカという未知の世界へ飛び出してから2年が経とうとする。
ケニア政府から当初の要請は、援助物資がどこかに行ってしまうのでどうにかして欲しいという漠然としたもの。
TORはあってないようなものの中、自分に出来ることは何かと悩んだ半年。
問題は山積み。その中でも、自分の出来ることでインパクトの大きいものをと、情報整理のためのプロジェクトを提案。
外国人ボランティアの立場であったが、100万円ほど使わせてもらい、
省庁の出すレポートでは、マネジメントへの取組みとして当プロジェクトを認めて頂いた。
援助物資、保管倉庫を追い求め、ランドクルーザーでケニア国内を駆け巡る日々。
それは悪路を数週間突っ走るタフなものであったが、ケニアの大地や人々の豊かさを肌で感じるには十分だった。
物事の進め方で同僚と何度かぶつかったが、今となっては良い思い出。
ゆっくりではあるが、順調に進んでいったものの、終盤は自分のできることの範囲の限界にぶち当たる。
ツールはあくまでツールだった。
腹立たしさと悔しさがこみ上げ、果たしてこれで良かったのかと自問する。
空を見上げても、そこに答えはなく、あるのはHakuna Matataな人々。
どうしようもない事だらけだけど、一つ言える事は自分が未熟だということ。
アフラトキシンで死者が出たという記事を読むと胸が痛くなる。
もし、僕が事務次官だったら、リーダーシップを発揮し、問題を解決できただろうか?
もし、僕が食糧関係の責任者だったら、上手く周りを動かして、問題の解決に貢献できただろうか?
もし、僕が外部のコンサルタントだったら、もっともな解決策を提案できただろうか?
自分の私服を肥やすための政策。
自分のポジションを気にし、問題をあやふやにする人達。
権力や組織の権威をバックに反り繰り返えっている人達。
家系や学歴、見栄えの良いCVよりも、モラルや人間性の方がはるかに大事であると痛感する。
色々な問題がある中で、よりベターな解を求め続ける根気強さが一にも二にも必要である。
自分はここに何を残せただろう?
残念ながら、長い時間軸で見ると残せたものはほとんどないだろう。
それよりも、残ったものは自分への宿題。
今は日本に持ち帰ることしかできない。
でも、またアフリカに戻って来たい。
今度はきちんとした土俵に立って戦えるように、レベルアップして戻って来たい。